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2001年 1月2月

今年は神頼みをやめてみます。

2001.1.4


 メールの年始挨拶も多かった。銀行の月次報告のようなレポートも次第にメールに変更しつつある。ペーパーレスは歓迎である。何度もコピーし直せる紙と印刷機の登場のニュースも耳に挟んだ。21世紀に人類はどんな進化を遂げていくのか。2050年には平均寿命が140才になるという話も聞いた。そうなると、僕はまだ100年は生きるのか。 

2001.1.5


 病院に入院して点滴に毒を入れられてしまったとしたら、どうしよう。しかも看護士に。考えられないことではなくなった。僕は以前入院しているときに看護士に世話になった。彼らは看護婦と同じ仕事をしているんだが男性ということもあり、患者から見ると医師のようでもある。しかし医師ではない。ここというときには医師のように敬われるわけではない分、ストレスをためているような気がした。これは僕の実感だが。病院の待遇に不満があったというが、それは看護士である自分の立場に対しての不満ではなかったのか。実務の重さをかんがみたときに医師と看護婦の待遇の差別への不満や、看護婦と看護士の区別への不満などがあったのではないか。彼が屈折していったとしたら、無差別殺人にいたる原因はそこにあったような気がする。 

2001.1.10


 長らく関わっていた映画がほぼ完成して試写会があった。まだ客観的には見られないが、感激しました。何が一番僕にとってよかったかといえば、まだデビューもしてない人たちの音楽を何片も散りばめられたことです。どれもこれも原石の輝きを放っていました。 

2001.1.15


 達筆すぎて読めないということがある。このあたりが何か重要なポイントです。古文書じゃあるまいし、書いてあることが判読できないということは、書き手の意志や意図が伝わらないということです。これじゃ意味がない。達筆であっても、その流派の権威が褒めていても、一般性を持たないと文字ではないわけです。何事もそうです。達筆すぎて捨てなければいけないものがあることを忘れてはいけません。 

2001.1.16


 大雪の記憶はひとつに集約されている。昭和38年である。11才の時。小学校5年生の時で、その時のことは今でも鮮明に思い出す。1階の窓が開けられなくなるから雪囲いで家全体が覆われていた。その囲いも傾いて、僕ら子供は、狭い隙間を冒険するかのようにすり抜けて遊んだ。雪の重みでぎゅうぎゅうと家が軋んだ。何度も豪雪はあったんだろうが、今になってはこの38年の光景しか思い出さない。アルバムに雪に埋もれた家の写真があった。そのキャプションに38年豪雪と書いてあったから、僕の記憶の中では、それが定着してしまったのだろう。真っ白な雪と寒波の中で闘っている地域の人たちにエールを送ります。

2001.1.17


 双子の赤ちゃんをインターネットオークションで売買し、その契約が二重で、ちょっとした論争になっているという。エッグ・オークションというものまであり、自分の卵子を売るような時代であるから、ネットで何を売っていても不思議ではないが、好ましくはない事態である。一時流行したフリーマーケットで、ペットが売られたあとは赤ん坊だぞと冗談でいってはいたが、情報だけで売買するとなればエスカレートするのは当たり前だと思う。まるで奴隷市場のようだと書いた新聞もあったが、規制しないととんでもないことになる。取り引きされているのが赤ちゃんだから、まあ可哀想ね、なんてのんびりしていられるが、老人だったりすれば、コメントすることすらできないだろうに。

2001.1.23


 妻が何かペットを飼おうといいだして、ウサギがいいんじゃないかと提案したら、それを聞いた息子は「ウサギはいやだ」といったらしい。小さいときに野毛山公園でウサギを抱かされたときの恐怖心がトラウマになっているといったそうだ。僕も現場にいたが、確かに凍り付いたように固まって突然泣き出したことは覚えている。あんなことが、息子の心に大きな傷を作ったのかと思うと申し訳ないなあと夫婦で話したのだが、妻はそれを克服させるためにも、なんとしても説得すると息巻いていたが、どうなることやら。

2001.1.30


 子離れ、親離れという意味で、親子がお互いの距離を保つということは簡単なことではない。親はどうしても、子供に対して、優位に立つ意識があるし、投資もしているし、思うようにしたい、支配下におきたいという欲望がある。だからやさしくもするし、つらくもあたる。恋人同士も同じだ。ひとりの人間として自分と対等であろうとするがなかなかかなわない。気になる分、嫉妬もする。人と人とがより深い関係性を求めれば求めるほど、一番遠い存在になる危険性を伴う。距離感がポイントなんだと思う。

2001.1.31

 そもそもロックが生まれて支持された背景を考えてみれば、時代が抱えた抑圧や矛盾に対するストレスの発散ではなかったか。アメリカの若者はベトナム戦争そのものに反対したわけではなく、徴兵制に反発したのだ。大音量で自由や破壊を歌うことで、同世代の共感を得たのではないか。だとすれば、今なぜロックは終わったのかがわかる。ブラックミュージックの旗手たちは差別を歌うわけではない。日本には生活や思想の自由を拘束するものなどない。反発すべき体制など存在しない。しいていえば、混乱する十代は義務教育システムのねじれに反発して犯罪行為を起こしているような感はある。ポップミュージックがロックにすり替わった今、音楽は疲れ切った肝臓のようにどこかが硬直化している。

2001.2.5


 他人のことで自分が煩わしい思いをするのは誰だっていやだ。どこかで関係があって自分の非があれば、それを改めようという気にもなるが、全く無関係なら、腹が立つ。でも、全く社会と無関係ということはまずない。こうして暮らしていること自体が結ぶ付きがあるわけで、他人事だとそっぽを向くのは逆に子供じみた狡さではないか。なんで時計が60進法なんだとか、1年を365日と誰が決めたんだと怒っている人を見ているようで、そうして暮らしていることを受け入れなければ、社会生活はできない。

2001.2.11


 物語を書きたい。

2001.2.14


 一体一日に何杯コーヒーを飲むのか。朝起きて2杯、仕事始めに1杯、午前中仕事をしながらもう1杯、打ち合わせに入って1杯、ランチを食べて食後に1杯、人と会って1杯、3時のおやつに1杯、疲れたなあと夕方にもう1杯、夕食後に1杯、夜まとめごとをやりながら1杯、寝る前に楽しむように1杯。これ全部、コーヒーです。アルコールを全くやらないが、コーヒーをビールに代えたら、もう何年か前に死んでるでしょうねえ。

2001.2.15


 プロバイダーの契約料になんでこんなに差があるんだろう。サービス内容にそれほどの格差があるとは思えないし。なんでも安ければいいということでもないんだろうが、これに関しては安ければ安いほどいいんじゃないの。マイラインというシステムも、同様。

2001.2.20


 元気いっぱいに振る舞っている人だって、なにがしかの哀しみや苦しみを抱えている。爆発しそうな爆弾を持っていれば、それを見せびらかしたくなる。注目してもらいたくなる。そうやって歩いていれば、誰もが避けていく。哀しみや苦しみを背負った人は、もっと孤独になる。だから、どんなときも元気いっぱい振る舞っている人が救われていく。

2001.2.27