| m&m Back Number 2002年 11月12月 |
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とにかく一生懸命にやってる人をまずは認めましょう。何でもいいから一生懸命やることはいいことです。他人が考えていることなどわかるはずもありませんが、どんな人でも朝からすたこら歩いて満員電車で会社に向かう人はいいです。ピアスしていても髪が真っ茶色でも学校に行く生徒はまあいい。汗をかいて走っている人、大声を出しながら荷物を運んでいる人、寒いのに襟を立てながら駅で子供の帰りを待つ母親も、少々赤ら顔で夜道に家路に向かう親父連中もいい。とにかく一生懸命生きている人は全部いい。生きることから始めましょう。四の五のむずかしいことばかりいってるだけのやつは、何いってんだよ、てなもんです。とにかく一生懸命にやってる人をまずは認めましょう。何でもいいから一生懸命やることはいいことです。たとえ成果がすぐになくとも。 2002.11.1 今年の夏に50才になった。人生50年というのはひとつの目安としてずっと物心付いた頃から心の中にあって、たぶん自分は50ぐらいで死ぬんじゃないかと思っていた。わりと無茶をしている人は周囲でも50前後でなくなることが多かったし、50という区切りは遙か遠くにあるときでさえ、もうゴール間近に思えた。正直にいえば、40を過ぎたぐらいから、その先はなかなか距離が縮まらない気がした。見えていたゴールがいっこうに近づいてこない。もちろん、そこで人生がおしまいだなんて決めていないのだけれども、通過点としても、実感としての重みが伴わないというか。いったんは一日の終わりのように日が暮れて、50からはまた新しい日が昇るんじゃないかと思っていたわけで、これは20になるときも同じような気分になったんです。自分を照らしていた太陽がいったんは沈むんだという感覚が一番的確な年の取り方だと思うんですが。実際50になってやっぱり新しい太陽が昇ってきた感じはあります。ギラギラはしてませんが。初秋という感じ、今の季節の感じです。まあ、人生やっと半分かというか。内容はこれからが密なんでしょうね、きっと。蜜だったらいいんですが。 2002.11.11 ひとつのことを達成するために努力をしてダメだと一度は自分のせいかもしれないと反省するのが人間である。しかしそれが二度三度と重なると、ダメなのは自分のせいではないかもしれないと考え始める。それはまるで実験材料のハツカネズミみたいに努力してもダメなものはダメだと学習してしまうのである。何かを達成するために努力しても無駄なこともあるという知識が身に付けば、まだ前向きな知識である。しかし、努力すること自体が無駄なことで、自分以外のせいで達成できないことがあるから、努力などしても仕方がないという考えに行き着けば、それは後ろ向きな考えといわざるを得ない。どちらが正しいかはいえないが、物事を達成したいという思いがなくなれば生き甲斐をなくす。どうせダメなんだという思いは人を停滞させるだけではなく心を腐らせる。人間は生ものだから、同じ場所に放置されると腐るのである。 2002.11.19 人それぞれ多かれ少なかれ個性がある。その人独特の考え方があって、大人同志では立ち入れないことが多い。私ならこうしますが、と主張はできても強制はできない。普通はこうするものだという常識はあるけれど、常識ですべてが統制できるほど社会は単純じゃない。大人というのは自分なりの考えを持つことでもある。人生の究極の目的が自分探しだといわれるような時代に、自分なりの考えを持ってなければ話にならない。そして個性がくっついてくる。これが面倒でストレスの元になる。他人の個性を重んじる心の余裕はなかなか持ち合わせることができない。冗談じゃないぞということになりやすい。例えば人に何かを打診する。十分な時間を与えたつもりでなかなか返事が来ない。これは相手が乗ってない理由があると考えてあきらめかけた頃に連絡があり、しかも積極的だったりする。自分の性格とは合わない。明らかに違う。乗ってるならなぜすぐに対応しないのだろうかと思う。相手はそういう性格なのである。カエルとサソリの話というのがあった。友人同志のカエルとサソリが離れ小島から陸地に移動したいのだが、サソリはひとりでいけない。泳げないからだ。カエルに相談すると「それじゃ、背中に乗ってくかい?」ということになるが、一言くぎを差す。「絶対に刺さないでくれよ」。サソリに刺されたらいちころだからだ。「何をいってるんだ、友達だろ。友達に毒を刺したりするわけないよ」。ということで背中に乗せて陸地に向かい、あと一歩の所でサソリはやっぱりカエルをちくっと刺してしまうのだ。「サソリ君、どうして刺すんだ」と毒で朦朧としながらカエルが聞くと、サソリは気の毒な顔をしながらいう。「だっておれってそういうキャラクターなんだ」。キャラクター、すなわち性格である。この話はもう何年も前に盟友浜田省吾君から聞いたのであるが、なかなか含蓄のある言葉です。 2002.12.4 フランスの詩人、ボリス・ヴィアンの詩に好きな詩がある。彼は自分でも音楽的な仕事をしていたから余計に感じるものがある。「君がもし詩人になりたいならバカなまねをしてはいけないし、金持ちになろうと思ってもいけない。どんな間抜けどもが好んでも、くだらない歌を書いてはいけない。君が作った小さな宝石に人はわずかな小銭を払うだけ」というような節が印象的だった。友人への忠告として書かれた詩だが、彼自身に向けられた想いだろう。時々僕はこの詩を思い出す。子供の頃からずっと詩人になりたいと思っていた。理由はわからない。きっと普通の仕事に就くだろうが、最後は詩人として生きている気がした。親父はそれじゃ食えないといいたげだったが強く怒ったりはしなかった。残念ながらいま僕は詩人として生きてはいない。もっと先のことなのか。 2002.12.11 |
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