| m&m Back Number 2002年 1〜3月 |
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年末年始、ほとんどテレビを見なかった。ぼんやり過ごしたわけではないが、家族で話をする時間が長かった。全員が同じ番組を見て笑ったり黙ったりしているというのが当たり前のような気がしていたが、話し込むとテレビは邪魔だった。家の中の備品でがたがきているものを買い直したり買い足したりするために出かけて、設置して、食事して、テレビの付け入る暇がなかったというべきか。おかげで何となく過ぎた正月という感じがしないのはよかったと思います。 2002.1.4 仕事始めにたくさん届いた年賀状の整理から始めました。時代に合わなくなっている日本の習慣を改めようと考えているんですが、この年賀状をいう習慣はメールや電話には勝てない要素があります。来年も続けることになりそうです。返事を出せなかった人たちには心から感謝の気持ちを送ります。 2002.1.7 日常生活の中で少し疑問に思うことを、今年は気づいたときに一つ一つ解明していくことにしました。おかしいなと思うことはそのまま通り過ぎていると何度も遭遇するので、そのたびにストレスになるのです。今年の最初のテーマは「年金」です。事務所の中でみんなの知識があまりにも曖昧だということがわかり代表して少し勉強してみることにしました。そんなことです。 2002.1.9 まだ正月気分でいる人たちはさすがにいないんでしょうが、そろそろ年が明けたことを自覚して、意識を変えないとずるずると過ごしてしまいそうです。去年でやめにしようと思っていたことがいくつかあります。去年できなかったことで今年はやりたいと思っていることもいくつかあります。始めるには今月がチャンスです。僕のことを話しますと、まずきちんと買った本は読む。 DVDは観る。CDは聴く。洋服は着る。入り口と出口をきちんとつけるということです。そして、やはり人と会う。新しい出会いを求める。億劫がらない。面倒に思わない。出会った人を大切にする。それ以上に今までの友人たちとの時間も大切にする。それはつまり自分の殻に逃げ込まないということです。迷惑かけると思いますが、よろしく。 2002.1.16 レコードをずっと作ってきて、一番感じていることは、そこに録音されたものが新鮮なものか、腐りかけてしまったものか、つまりどっちにしても生ものの状態のものが詰め込まれていなくてはいけないってことです。そのことだけを考えて、いろんな人とレコードを作ってきたような気がします。 2002.1.28 最近車嫌いになってきた。会社を辞めてからは車で通勤していたから、ほとんど毎日50キロから100キロは走っていた。年間3万300キロという感じかな。それで飽きてきたわけではなく、ちょっとした事情があり日中の移動を電車と徒歩にしたら、これが結構快適で、だんだんと車に乗らなくなってきている。健康のためにもなるという意識もある。CO2問題の意識もある。しかし根幹にあるのは、スピード感の問題ではないかな。ただでさえ時間は疾風のように過ぎていく。もっとゆっくり生きたいのである。 仕事は与えられるものだと思っている人間ばかりだと1人の指導者と残りは兵隊という構図になる。愚かな指導者だった場合には兵隊は死んだも同然になる。仕事は自らが見つけて作り出すものだとすれば、すべての人間が指導者にもなれるし、兵隊でもあることになる。これは企業にも当てはまる。いわれたことしかしない部下を持てば、企業はつぶれる。上司が優秀であることは当然のことで、優秀な部下を持つことが企業の成長を促す。腐っていく企業とは、衰退していく企業とは、すなわち馬鹿な部下を集めた企業なのだ。上司の悪口をいって、こんな会社はつぶれてしまうなどと陰口をたたいている奴らは、自分たちが会社に巣くっている寄生虫だということに早く気づくべきだ。仕事は生み出すものだ。不景気で倒産してしまう恐怖に悩まされている輩よ、その理由は君たちにある。 2002.2.5 「帯に短し、たすきに長し」という言葉がある。どっちつかずで中途半端なものを指していう。しかし帯としてちょうどいいものはたすきには元々長すぎるだろうし、たすきとして具合がいい長さは帯には短いものだ。両方に使えるものはない。「帯にちょうどはたすきに長く、たすきにちょうどは帯には短し」ということなのである。帯にもたすきにも使えない長さのひもとは、使い勝手の悪い長さのひもという意味に聞こえるが、それはあくまで帯かたすきに使いたいときのことで、荷物の梱包には最適の長さだったりするかもしれない。すなわち「帯に短し、たすきに長し」ということの真意は、それでは何に使えるかをあなたが考えなさいという意味ではないか。どっちつかずで中途半端なものをどう使うか、それとも使わずに捨てるか、それはあなた次第ですよということではないか、なんて思うんですよ。 2002.2.20 昨日のメッセージにも書きましたが、子供の時の日常を思い返してみると考えなくてはいけない事柄がしぼられていて、いろんなことで混乱することがなかったと思う。知らないことをあれこれ詮索することもないし、大人が子供にいわないことはたくさんあった。今から思えば、あれもこれも情報として知っておかなければならないという切迫感など存在しなかった。どうして何もかもつまびらかにして、誰も彼もが共通の情報を持つようになったのか。それが平等ということではないような気がする。子供が無邪気でいられたように、時代が人の精神を病的にして邪気をもたらしてはいまいか。テレビで幼い姉妹が出てきて、「妹がチューリップになりたいといってるんですが、私は無理だと思うんです。彼女はチューリップの生活を知らないんじゃないかと思うし、どういうふうに説明してやればいいでしょうか?」と話していた。これ以上の無邪気はない。この姉を馬鹿だという人はいない。 景気が復活してきたのか、近所で工事が多くなり騒がしくなってます。活気が出てくるのは歓迎ですから多少の雑音は我慢しなくてはと思うんですが、しばらく静かな街だったのでうるさいなと感じるのは仕方がないんでしょうか。つまり世の中の景気がいいというのはやかましくなるという面もあるわけで、人が活気づけば張り切るので声も動きも大きくなって邪魔くさいことも出てくる。道路も混むし、通りの人出も増える。電話やメールや郵便も増えてくる。息苦しくもなる。みんなが閉じこもっていた頃が暗くてよかったなんて思わないでしょうが、摩擦も出てきて熱も上がります。春なんですね、要するに。60ワットが80ワットになったっていう感じでしょうか。 2002.3.12 半年ほど同じスポーツジムに行っている。会社勤めをしている頃から慢性型の運動不足で、わざわざ体を動かさないと何もしないタイプなのでジム通いを始めた。ゴルフが好きな人からはさんざんゴルフを勧められたが、どうしても好きになれなかったいきさつがあり、かといってジョギングをするというのも柄じゃないし、と何かと理由を付けて運動という運動からは逃げてきていたのだが。水泳なら何とか続けられるかもしれないと思い始めたのだが、インストラクターとの相性がよかったのかまじめにフィットネスを続けている。同じような年輩の仲間もたくさんいるから恥ずかしくもない。筋肉痛に何度もへこたれそうになったが、今は週に2回は行く。汗をかくのが気持ちいい。汗といえば寝汗か冷や汗という期間が長かったから、健康的な汗はとても気分をよくする。自分がよい人間になったかのような錯覚さえ持つ。運動しないときには、そもそも哺乳類の寿命は総心拍数で決まっているのだから、運動すれば寿命が短くなるなんていう説をもっともらしくぶっていたのが情けない。駅の階段を駆け上って何ともないように電車に乗り込む自分が嫌いになるわけがない。おなかに付いた腹筋をそっとなでてみるときの快感は人にはいえない喜びがある。徹夜ばかりしていた頃に体力があると思っていたのだが、体が健康になればなるほど、実は夜が全くダメになった。睡眠欲が正常な姿で定期的に襲ってくる。夜更かしできるのは実は不健康な体なんです、きっと。 2002.3.18 一時的に流行っていた店が閑散としているのを最近やたら目にする。商売とは過酷なものである。押すな押すなの大盛況で、行きたくても二の足を踏んでいたような店に閑古鳥が鳴く。いったん冷えてしまった店の温度はちょっとやそっとでは暖まらない。素人目にも無理のある施策を打ち、裏目裏目に出る。消費者から見ても可哀想になるような店がある。小さな小売店ならまだしも大型チェーン店では同情されて景気が戻ることはない。去年あんなに打っていたバッターが今年はぱったり打たなくなったね、という感じがする。スランプがスランプをつれてくる。復活させるためには周囲が手を貸すことはできない。本人が変わるしかない。店の閑古鳥は簡単なことだ。うまい饅頭を売れるからといって店を増やせば人は飽きるのである。だって味にも新鮮味はなくなり、気づかないうちにうまさも確実に落ちているのじゃないかな。 2002.3.25 |
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