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2002年 4〜6月

人は多かれ少なかれ何かに対して依存している。アルコールに依存していると病気でジム通いに依存していると健康なわけはない。どちらも依存症候が出れば病的である。酒を飲まないと落ち着かないのも、走って汗をかかないとイライラするのも同じ病気である。どうせかかるならジム依存症の方がいいけれど。最近は携帯電話やパソコン&メール依存症も多い。一日に何度もメールをチェックするようになると、もう病的らしい。携帯も着信音が鳴ると、周辺のみんなが自分の携帯を見る。寝るときにも枕元において寝たり、電波が圏外表示になるとそわそわする。全部おかしいらしい。自分は何に依存しているのかを考えてみたが、あまりに多くてうんざりする。ただ依存するほど執着しなければ何事も完遂できないわけだから、依存症そのものが悪いとは言い難いが。あいつに会わないと落ち着かないなあと思いながら毎日連れだって遊んでいた友人がいたが(学生時代のことですが)、あれはまぎれもなく依存症でしたが、熱い青春でもありました。懐かしいなあ。

2002.4.4


 何年か前に会社を辞めて自分の事務所を開いたときに、取引先銀行を決めなくてはいけなくて、元々いた会社の紹介で某銀行に依頼した。その時に担当してくれた銀行員の態度があまりに横柄で腹に据えかねた。しかも融資を依頼しているわけでもなく、こちらの資本を預けたいという話なのに、事務所に来るのに駐車場はあるのかと聞いてくるし、連絡も緩慢で参った。銀行とはそういうものだといわれてショックを受けた。6年前だ。こんなことをしていると銀行は全部ダメになるぞと公言していたら、その通りになった。勘違いも甚だしい。取引先といってもおたくのような程度の会社では、とはっきりはいわないまでも、そういう態度が見え見えだった。それがペイオフだと。冗談じゃない。潰れたら保証できませんはないじゃないか。人の消しゴムを借りておきながら消えにくいなと文句をいって、挙げ句の果てに半分使いましたみたいな話だ。日本が壊れていくきっかけを作っておきながら反省の言葉もない。最後は日銀が札束積んで緊急出動するんだと慢心していたんじゃないのか。国を背負っていたのは銀行ではなく勤勉な国民だった。オリコンに頼もうかな。銀行の対応の善し悪しベストテンを。悪いところはみんなで預金を引き出して、ペイオフどころかXXXXオフである。(大人げない怒り方ですが)。同調される方は多いはずです。ああ、すっきりした。

2002.4.8


 夜爪を切ると親の死に目にあえないよといったら会いたくないからと答えた人がいた。僕は父親の死に立ち会えたからいうが、つらいけれど死に目にはあうべきである。知人が脳溢血で意識不明のまま約1ヶ月も集中治療室に入っているという知らせを受けた。より近い友人が見舞いに行きたいが気が進まないというので、是非行くべきだと説得した。意識不明でも面会できなくても本人には必ずわかるからと話した。人の命とは消えかかったときほど愛を必要としている。だから近い人の死と向かい合うことを避けてはいけない。淡々と生きるということの素晴らしさを一番感じさせるのが、残念ながら人間の死である。知人は生きようと必死でもがいている。病は生きようとする意志への挑戦である。雨に打たれるように、風に吹かれるように、自然と闘うように、人は人の命に対して無力ながらも立ち向かうべきだし、誰かの闘いにはできる限りのエールを送るべきだと思う。

2002.4.11


 僕は楽器を弾く。ギターもベースもピアノも何でも弾くし、時にはドラムやタンバリンもたたく。もちろんそんなにうまくはない。というよりもテクニックはない。音楽の仕事を長い間してきたせいで、40歳を過ぎてからの「門前の小僧習わぬ経を読む」である。楽器を道具だと思っていてはきっとなかなか上達しないと決めつけてペットや玩具のように可愛がるように遊ぶようにつきあった。今では自分のイメージの音を作る程度には楽器を操ることができるようになった。仕事を辞めて時間ができたらピアノを本格的に習おうかなどと考えていた時期もあったが、そんな悠長なこといってられなかった。音楽プロデューサーと呼ばれている人たちはほとんどがミュージシャン出身である。楽器が弾けなくて譜面が読めなくてもできる仕事ではあるが、できるにこしたことはない。キャッチボールもできない男はさすがに監督にはなれない。

2002.4.22


 日本のプロ野球にしろメジャーリーグにしろ、野球を見ていて興奮するタイプの人というのは、自分が監督になって采配を振るっているような言動をする。つまりファンの進化の過程としてはただのファンからまず評論家になり最後にコーチあるいは監督になる。クールな意見として打てない打者を非難したり同情したりしているうちはまだ1ファンである。なぜ打てないかを分析し始めて、最後にはトレード要員であると宣言したりする。僕はこの心理に関して苦々しい思い出がある。30代の後半にある草野球チームに参加していたことがある。そのチームは監督になりたがる年輩者が多く、じゃんけんで決めた。そしてその監督の采配ぶりに仲間でさえ口を挟みケンカになりかけることが多かった。僕がそこを抜けて何年か経ったときに新聞の記事を見て驚いた。その時に一番過激に野球理論を語っていた男が傷害事件を起こした内容だったのだが、その原因はなんと草野球中の内輪もめで同じチームの仲間を包丁で刺したということだったのだ。彼にとっては野球は趣味や楽しみの領域を越えた人生観の重要なファクターだったのだ。 

2002.4.25


 いよいよ五月です。緑さわやかな季節です。雨も多いんですよね、この月は。五月雨ですか。ハエは五月蠅いですよね。蒸し暑さも日々激しくなっていくんでしょうか。夏に向かってゴーといいたいんですが、個人的には時間が足りない月です。つまり予定がびっしり。ただTシャツコレクターの僕としましては、Tシャツにジーンズという年甲斐もない格好で街を歩けるようになるのがうれしい。というよりも暑くてジャケットなんて着てられないんですが。カリントのTシャツプレゼントというのも久しぶりにやろうかななんて機嫌良く考えている今日この頃です。 

2002.5.1


 事務所のすぐそばにフリマで有名な明治公園がある。散歩がてらにというか気分転換に外に出ると異常な人の気配を感じることがあると必ずフリマか犬の品評会らしきイベントをそこでやっている。連休中も連日フリマをやっていた。違法駐車の車が多くて、近くに住むものには大変迷惑なのだが、最近はこの手のイベントは秩序が保たれている。ただフリマ自体がブームになった頃に比べるとリサイクル的になりすぎていて、蚤の市よりも不要物処理市に近いような気がする。捨てるようなものは基本的には他人も欲しがらない。僕の友人は引っ越しで出たものを夫婦でフリマに参加して数十万の売り上げを上げて引っ越し代をまかないきったと話していた。僕ももう何年も前に横浜で出したことがあり、家族の思い出にはなっているが売り上げは家族で山分けして小遣いぐらいの金額だったと記憶している。たぶんちょっと豪華なごはんを食べる程度だった。この明治公園などはのべの集客が3万人とか書いてあったから、ちょっとしたショッピングセンター並である。たしかにぶらぶらと見学しているのは楽しいけれど、たたき売ってる若者を見るとなんだかせつなくなる。売る方も買う方も生活かかってるんじゃ洒落にならないしね。でも意外と現状は生活かかってたりして。

2002.5.7


 癒し系の次に来るものは何かと議論されているが、僕はきっとセルフ系だと思う。禁欲的で克己(かつみじゃないですよ、こっき、己にうち勝つということです)的で平静で冷静な自我を持つことがブームになる。こんな世の中になれば、欲望のおもむくままに生きている人たちはキリがないから心が満たされることがない。だから禁欲的に生きてる人がかっこいいってなもんです。わかりやすくいえば、ひたすら我慢です。心を癒すようなものがもてはやされれば、その次に来るのはこれしかないでしょう。名付けてセルフ系、どうですか? 

2002.5.14


 横浜在住の身としてはベイスターズの惨状は見過ごすわけにはいかない。どうしてここまで不甲斐ないのか。去年と何が変わったのか。谷繁の放出だけではない。ローズもいない。負傷者も続出し、取った外人の補強が計算はずれで、しかも4番を石井浩朗が打ってるのも首を傾げる。そこまでの重責をロッテを追われた男がこなせるか。しかし、本当の不振の理由は別にあるんじゃないのだろうか。名匠森が乗らないわけがあるんじゃないのか。つまりはTBSじゃないのかな。ベイスターズの株を買ったということは口を出しているということだし、テレビ局としては日本テレビの巨人に対抗したいわけで、そうすればおもしろい野球を期待している。森さんの野球はおもしろいというよりは勝つ野球であって、駒不足としても地味ながらも勝つ野球を目指したのに、きっと誰それがブツブツいって森さんのやる気をなくさせてるんじゃないのか。監督が腐れば選手も腐る。その悪循環ではないか。そうじゃないことを期待してみたって、現状では更迭は必死。阪神とは対照的だなあ。頑張れ横浜ベイスターズ。ポンセよ、カンバック。

2002.5.23


 他人に借りを作ってしまうことはあります。意図的でなくても。どんな人も人に借りを作ることは愉快なことではありません。できれば避けたいと思っているはずです。しかし人間はひとりでは生きていけないという言い方の裏には、生きていくことで必ず誰かの世話にはなるのだという意味合いがあります。そもそも生まれたままの赤ん坊は母親がいなければ成長することもできません。ひとりで大きくなったような気分でいても、誰かの手を煩わせてはいるんです。大人になると他人の世話にはならないで生きたいと思うわけですが、つまり借りを作りたくないと考えるんですが、実はそんなことは無理なんですね。相互扶助の形こそが社会の基本ですから、誰の世話にもならないで生きたいなんて考えている人ばかりでは、世の中はうまく機能しなくなります。借りを作って結構。その分どこかで誰かもあなたに借りを作っているんです。

2002.6.3


 人の怒りは長く続かない。頭に来るこという言葉通りで、不愉快なことは頭全体を包囲する。考えの全体が怒りで包まれる。そのことだけで頭がいっぱいになる。他のことが考えられない。しかしその状態がずっと続くわけではなく、風船の空気が少しずつ漏れておくようにだんだんとしぼんでくる。その作用に反抗するかのように時々空気を補填しようと怒りがわき上がってくる。でももとの状態に戻るまではいかずに、そのうちに怒りの風船がよぼよぼのゴムのかたまりになる。人間のこの精神作用は自己防御のためではないかとも思います。ずっと怒りにとらわれていても、苦しいのは自分自身だし、怒っている自分の興奮状態を鎮めないとまともな日常生活さえ送れないと気づき、こんなことで損をするのはいやだと思い始めるわけです。人の怒りは本当に続かず、怒りを導いたことに対してのやるせなさだけが残ります。実感です。

2002.6.17