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2003年 3〜12月
やろうと思っていてできてないことは必ずある。やらなくちゃいけないと思いながら、また新しいことでやるべきことが増えていくので、どうしようもなく飽和状態になっていく。ひとつひとつ片づけるという行為は、やり残していることがすぐに思い出せる程度の時のことで、このときに処理しておかなくては手遅れになる。試しに現段階で自分がやり残していることを少し書きだしてみますか。まず、赤坂アクトシアターでやっている「NOISE FUNK」のチケットを手に入れなくてはいけない、まずむずかしいといわれているから、知り合いに連絡してでもなんとかと思うが、その知り合いの電話番号をどこかに書いたのを探さなくてはいけない。アレクサンドラ・デュマの「モンテクリスト伯」を読破しなくてはいけない。たぶん全7巻ほどあった。頼まれている短編小説を書かねばならない。これは30枚ほどでいいんだが。それから、共同経営者に対しての来期の事業計画書をまとめなくてはいけない。ちょっと予算がらみなのでひとりで時間をかけなくてはいけないので、半日はかかりそうだ。ここのところ事務所のスタジオで作ったデモテープの譜面をきちんと書いて整理しておかないといざというときに何がなんだかわからなくなる。もうだいぶたまってしまっているから全部やるのに、これは一日はかかりそうだ。家から運んできた書籍が積みっぱなしなので、その荷をほどいて書棚に入れる物と捨てる物とを選別しなくてはいけない。まだまだある。しなくてはいけないことばかりで、ここまで書いただけでも、もう無理じゃないかと考えてしまうわけで、実際これを片づけることは至難の業なんです。ひとつひとつやりますか。
2003.3.10
僕の故郷は富山で、このたび富山でラジオ番組をやることになった。ということは必然的に帰郷する回数が増えた。そんなことでもないと故郷に帰ることができないのも淋しいのだが僕にとってはうれしいことになった。友達も実はたくさんいる。会うチャンスがない。同窓会のようなものも催されているんだろうが連絡はあまりない。だから特に親しい友達以外とはもう何十年も会えてない。そんな人たちとラジオを通してだが話せると思うだけでもとても感激である。友達だけではないし。4月から半年間のことだが、できればその番組を通していろんな再会があることを祈っている。3月30日からのスタートである。富山以外でもネットされることになっているようなので、興味のある人は是非。
2003.3.27
ユニフォームを着て働く人にあこがれた。ウェイトレスや看護婦や作業着を着た工員までも、どこか実体としての自分を隠せるなあと思ったからである。サラリーマンになりたくないとは思わない時代に就職したのでスーツ姿にもあこがれてはいたが、自分が就いた仕事はスーツを着てくるなという感じの職場だったので、余計にユニフォームを着る仕事への思いは残った。スポーツ選手など最たるもので、いまでも生まれ変わったらプロのスポーツ選手になりたいと思う。僕が現在仕事を一緒にしている女性がある実験をした。というのは、僕と会うときにはいつもスカートはいている人で、普段はジーパンしかはかない人らしい。それで数回会ったときに「私の印象を聞かせてください」といわれて感じたままを話したら、職場の同僚から常々いわれている印象とまったく違うという。つまり服装で他人に与える印象がまったく違うということなのだ。活動的に見えるか、おとなしく見えるかといったような正反対のこともあった。ユニフォームは個性をなくすという意見もあるが、人にまぎれて自分を隠すには絶好の手段である。ああユニフォームを着て世の中を歩きたい。
2003.4.1
パソコンの普及率はまだまだ低い。使っている人にとっては当たり前だが、電話というほどにはまだかなり距離がある。考えてみればベルが鳴り受話器をあげれば相手の声が聞こえることに比べれば、パソコンでのメール通信は面倒である。昔は電話も受話器をあげて交換手に相手先の番号を伝えた。そのうち自分でダイヤルやプッシュホンを操作するようになり人の手を借りなくなり自動になった。パソコンはすべてが機械操作である。誰かの手を借りる必要がないぶん、簡単だが冷たい。声も聞こえない。文字化けしていたりすると怖い。何でこんなことを書いているのかというと、最近そうパソコンが普及してないという事実を感じたからである。会社には何台もあるけれど、家庭で使いこなしていることはないのである。電話を使わないで生活している人はいないけれど、パソコンはまだまだである。
2003.4.9
変化に付いていけないことが心も体も老化しているということらしいですが、体は致し方ない部分もあると認めた上で、気持ち的にはまだまだ変化に対応できるはずです。一言で変化といってもいろいろとありますから、一概にはいえませんが、僕の場合ここのところ人間関係にかなりの変化がありまして、基本的には誰にでも誠実でありたいと願うタイプだったんですが、その誠実ということが必ずしも優しくすることではないと思うようになりまして、かなり厳しいこともいうようになりました。それは僕サイドの変化なんですが、そしたら当然のように相手側の変化もあり、そうするとかなりこちらも動揺することがわかったわけです。そんな人だったっけ?みたいな思いにぶつかる。こちらが変化した分相手もその変化球に合わせて打ってきたんでしょうが、そうすると自分の変化は正当化できても、相手の変化には拒絶反応が出てしまう。勝手なものです。その気持ちが変化に付いていけない老化なんでしょうか。
2003.4.21
不景気だから仕事の量が増える。不景気だから忙しくする。人の倍は働かないといけない。そんなバカなと言われる。でも腹が減るからたくさん食べるではないか。空腹だから食欲が旺盛になるではないか。疲れているからよく寝る。睡眠時間が少なければ疲労した体は快復しない。疲れているからよく眠ることが必要なのだ。景気が悪いからといって休んでいてはもっと悪くなる。働け。
2003.5.6
他人の気持ちに自分が左右されたり動揺したりする。それがいやで心のどこかにふたをして生きる。そんな生き方はばかげていると思う。恋愛を考えればいい。誰かに心をうばわれることがいやで心を閉ざしている人は、もっと大きな闇に心をうばわれる。
2003.5.28
貴乃花と寺尾の断髪式とその後のパーティーの模様をテレビで垣間見た。そう熱心に見たわけではない。かたや平成の大横綱でかたやは不屈の努力家という感じで、どちらも見ていてすがすがしさがあった。テレビが中継するくらいだから人々の興味をひくのであろう。個人的には寺尾がよかった。母親の写真を胸に抱いて断髪式に臨む彼には感動した。貴乃花にも以前のナーバスなイメージはない。彼はまだ若い。これからの人生に興味がある。小学校5,6年生の時にわんぱく相撲で同じ相手に負けて予選敗退したことが大横綱への道を作ったのだとわかった。4年生の時には優勝している。図に乗らせなかった神様がいた。僕にも切るべきちょんまげはあるのかもしれない。そっと断髪式をやりますか。
2003.6.2
10月の芝居に向けていよいよ具体的な音楽制作に入ってます。今回は僕が音楽監督という立場ですが、むしろ中に入って、僕と橘いずみとcasualsnatchのトーミ・ヨーとタップの熊谷和徳でALEXANDRA(読めないと困るので書きますが、アレキサンドラといいます)というユニットを結成して、なんとSMEレコードからアルバムまで出す勢いなんです。この音楽がかっこいい。芝居のプロデューサーの笹部さんのホームページにも写真入りで一足早く載ってますから見てみてください。
2003.6.16
いつもそばにいる人に強い信頼感を持つのは当たり前のことだ。それでも、離れている人に、その距離感ゆえにまた強い愛情を感じることも否めない。遠距離恋愛がわかりやすい例だが、結局そばにいる存在にはかなわないと思う。喪失感は寂しさを募らせて郷愁をそそるが、すぐそこにある暖かさにはかなわない。
2003.6.23
子供がより小さな子供を殺す。そこにある動機はわかりづらい。金の貸し借りや愛情のもつれでの殺戮とは明らかに違う。虫を殺すかのように人を殺す。おぞましい事件だ。虫に対する興味とか執着とか嫌悪とかがあり、ひねりつぶすことが出来る対象だから殺してみる。優越感や支配感がほしくてやる行為ではないんだろうが、結果として自分にとっては簡単な征伐である。相手は敵ではないし自分に大きな脅威や不利益をもたらすわけではないが、容易にもみ消すことが出来る対象である。だから虫は殺しても猫や犬を殺すことはない。簡単ではないからだ。人は自分に置き換えられるからもっと簡単ではない。心理葛藤があるはずだ。それでも事件は起こってしまう。動機を解明することよりも、恐るべき子供の心理を増長させている時代の病癖を大人が探るべきである。精神的にもろくて母親とべったりしていたとか成績優秀だが反省することがなかったり時々切れて教室を飛び出したことがあるなど、報道されることは類型化を図る陳腐な内容だと思う。そんなことで事件を犯すのならほとんどの人間は問題人間で事件を起こしているはずではないか。
2003.7.11
30年ぶりに高校の同窓会に出た。正確にいうと大がかりな同窓会なるものに出席したのは初めてである。仲間内で集まるものは何度かあったが、ここ10年ぐらいは誘いがかかっても仕事のスケジュールで叶わずにいた。欠席と返事を出していると案内さえ来なくなった。今回は4月から富山でラジオ番組をやり始めたせいで情報の風通しが良かった。多少面倒だなという気持ちがなかったわけではないが出席して楽しかった。この僕が二次会の終わりまでいたのである。会いたいと思っていた人たちにも会えたし、懐かしい顔のオンパレードであった。みんな年を平等に重ねている分、暖かい雰囲気に終始した。太ったやつ、はげたやつ、貫禄のでたやつ、きれいになった人、老けた人、うまく年をとった人、やつれた人、様々である。でもみんなどこか幸せそうだった。何年も感じたことがないような気分になれた。誰にというわけではないが感謝します。
2003.8.4
このコーナー、ずいぶん長い間書けませんでした。書きたいことはたくさんあるんですが、うまく書けそうな気がしないとペンを取る気にならないというか。先日僕の先輩にあたる人と食事をしているときに、その人が「おれは8月15日から31日までが好きなんだ」といいました。「期間限定なんだが、1年のうちでその時期がすごく好きだ」と。僕が夕方の5時ぐらいから6時半頃までが好きなのと似ていると思ったんですが、その人には理由を聞き忘れました。僕は黄昏時の疲れた感じが好きなんです。もう家に帰らなければというせつない感じが好きです。子供の頃の気持ちなんでしょうか。そういえばその人も「その時期がせつないからなあ」といってました。つまりはせつないがキーワードです。僕にはなんとなくわかるんですが、夏が過ぎていこうとして暑さのなごりが残っている感じ、田圃の稲穂がまだ黄金色にならずに緑のままで風に揺れている感じが、とてもせつないんじゃないかと思うんです。その人も僕も人生に於いては、たぶん今がその時期じゃないかなんて考えたりして、それでセンチメンタルな気分になるのかなとも思ったりで。夏の終わりから初秋へ、黄昏時から宵闇が迫る時間帯へ。ああ、せつないねえ。
2003.9.8
消費税を上げる上げないという論争がある。選挙になるからまた何度も討議の対象になるだろうなと思う。消費税を上げれば国民の生活をひっ迫させるから上げない方がいいという考え方は幼稚で、それでは国としての収入を上げないで年金などの支出をどうまかなうのだということになる。公務員が多すぎるから数を減らせばいいというのもあまりに短絡的である。たとえば節約は美徳だという考えがある。無駄遣いをしないように気をつけることが求められる。だがみんな節約したら経済は低迷する。消費というのは経済を支えている片翼である。生産するには消費が必要なのだ。どうも税金を上げるなという主張は正しいとばかりは言い難い。筋が通っていれば国民は納得する。納得しないという人たちはなぜ納得しないかをきちんといえなくてはいけない。だって・・・みたいな討論はもうやめませんか。
2003.10.14
2003年も暮れようとしてます。多忙で変動の多い年でした、個人的には。みなさんもどんな一年だったんでしょうか。年を重ねてくると同じような時間を送りがちですから、わりと変化がいくつもあると疲れますし不安になりますね。それでも今年は予想以上にいろんなことの変わり目でした。うれしいことも悲しいこともたくさんありましたが、どれもこれも過ぎていきます。また新しい年を迎え気持ちを新たにしたいものです。このページを訪ねていただいたことに感謝します。来年もよろしくお願いします。元気にいきましょう、元気に。
2003.12.26