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2005年 3月4月5月

 雛祭りは華やかな節句である。季節の変わり目に催される行事のうちで最も華やいでいる気がする。1年間には五節句があり、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日と9月9日である。その中でも一番華やいでいる。長い冬のあとで雪の純白から少し桃色に着色された感じだ。三月は希望にあふれた月だなんてぼんやりしたことはいわないが、大きな変化の中継地点のような月ではある。年が改まって緊張していたはずの気持ちが二月病をへて若干治りかけた月なのである。その意味では少々ぼんやりしている時間帯といえる。春めいたといっても未だ寒さがしっかりと残り、だけど先取りして春の気分を味わいたいと思っている。華やかさは十分ありながらも、半分は冷凍が戻ってないようなそんな時期である。東京のサクラの開花予想が発表されたが平年よりもかなり遅めの今月のみそか近くになるという。まだまだ本当の春は遠い。

2005.3.3

 若年性健忘症のことを報道していた。二十代三十代に起こるという。その理由として、IT化した生活の中で刺激が薄くなっていることもあげていた。それは僕がずっと感じていたことである。電話で話すようなことではないから会って説明しなくてはいけないことも、手元にある携帯ですませようとし、その補足としてメールを打つ。誰でも多かれ少なかれ経験している。その電話番号だってメモリー登録しているから、いざというときに番号を思い出せない。ワープロを利用していれば、自動的に変換してくれるから漢字も覚えない。書こうとしても字がでてこない。細かいことから逃げておおざっぱな考え方になる。人は感動することから無意識に離れていっているのではないか。恋愛すら面倒になる。机の前に座り、パソコンのスイッチを入れてから画面と対峙してまったく動こうとしない。仕事とは画面を使ってコミュニケーションすることと化している。やる気が起こらない。僕は何年も前に映画『未来世紀ブラジル』を見たときに人間が歩んでいく未来の殺伐とした風景をかいま見た。その通りにならんとしている気がする。人の脳はそれほど優秀ではない。機械ではないから疲れる。情報の嵐でボロボロに傷んでいく実感を誰もがひしひしと感じている。

2005.3.10

 スマトラ沖の地震と津波のあとに、いざという時のために防災グッズを入れた緊急避難用の袋を作ろうという話題が会社内で出た。かなり真剣に議論して、内容物もだいたい決めた。時代が変わりつつあるから、古い考え方ではいけない。時代に即した防災グッズはある、ということになった。ところが時間が経つうちに、そのうちやろうでずっと来てしまって、今回の福岡の地震でやっぱりいますぐに作るべきだという話になった。携帯電話が通じなくなるかもしれないから、携帯充電用のキットと公衆電話用のテレフォンカード、そしてラジオと懐中電灯、防寒用の下着と靴下やTシャツなどの簡単な着替え、防水の折り畳みコート、それからもちろん二日分の水と簡単な食べ物、これは乾パンとかではなくて自分の好きなものを入れるほうがいいときいて、チョコレートなどの甘いもの。非常食ではよけいにストレスがたまるらしい。そして銀行の通帳と印鑑、ひとつでいいからいくらかのお金が必要になったときにATMは壊れてしまうから窓口でおろせるようにという忠告を防災特集番組で聞いた。それと現金、小銭も含めていくらかはいる。そして自分が安心出来るように好きなもの、本でもいいし、酒でもいいし、タバコでもいいし、インスタントコーヒーでもいい、何か緊張感をほぐすものがいいらしい。そしてメガネの替えと常備薬、これらを入れた袋を今週中に用意しておこうと思う。いつかやろうでは、地震は起こってしまう。当たり前だが、備えあれば憂いなし。

2005.3.23

 人がせっかちになる。結論を急ぐということは熟慮しなくなっているということです。ゆっくり考えてみればわかることも多いのに、考えるのが面倒になる。いいんじゃないの、という話が増えてくる。北朝鮮問題に関して、経済制裁のことが世間でいわれ始めると、みんながそれで正しいと思い始める。でも普通に考えても、北朝鮮の民衆は飢えに苦しんでいるのは周知の事実で、その人たちに制裁を加えることが正しいと言い切るのは変ではないでしょうか。拉致や核の保有など問題は多いけれど、話してもわからないんだからという言い方は適切ではない。誰がいったい金正日ととことん話したというのだろうかと思う。話が出来ないから問題なんだという声もあるが、そこは小泉さんのいう対話と忍耐ではないかなあ。自国の憂鬱な問題は自国の中でもさんざん困っているはずだし、誰よりも彼らが深刻に考えているのである。それでも解決しないから回りに援助を求めているのだろうし、その困った状態からいったんは解放させて、まともな状態で話をするようにしてはどうかと思う。真の友好関係を結ぶには信頼し合うことから始めなくては絶対に進まない。僕は経済制裁という戦争状態には賛同しかねます。力ずくでわからせるというやり方はどうにも納得出来ない。
 だって隣に住んでいるわからず屋に堪忍袋の緒が切れたからと、水道を止めて家に火をつけては元も子もないでしょうが。暴れん坊の家長に直接話をしにいくことから始めなくては全部がだいなしです。いつも思うんですが、壊すからには新しいことを作り出さなくてはいけません。壊すことは簡単、作ることが大変なんです。

2005.4.1

 インターネットでの音楽配信は誰がなんといっても来るべき未来の姿である。これは否定出来ない。パッケージビジネスと比べても、製造コストはいらないし、在庫管理も不要で、輸送コストもいらない。この方向にすべてが進むことを「時期尚早ではないか」「まだまだだと思う」などと述べているのは、人はうまくやれば死なないといってるようなものだ。必ずインターネットによる音楽配信が主流になる。違法なファイル共有を避けるためには合法的なダウンロードシステムを作ってきちんとした課金インフラを作るしかない。子供が考えてもはっきりわかることじゃないか。そのための法の整備も急務である。全体として、その流れに目を背けていると取り残される。口承伝達していた歌をテープに録音して、それをレコードにして大量頒布した。そして次の段階である。システムが変わるのに何年かかるのか分からないが、その必要時間は縮まるばかりで延びることはない。文明開化の新しい音がしているのだ。

2005.5.4

 創作意欲というものについて考える。ものを新たに作り出したいという衝動はなぜ起こるのだろうか。目の前に粘土があれば、こねくり回して何か形のあるもの、意味のあるものを作りたいと思うはずである。まずは粘土がなければいけない。
 趣味についての意見として、趣味でお金を儲けてはいけないし、むしろ使わなくてはいけなくて、しかもそのことで一流でなくてはいけないという。だから読書や映画鑑賞は趣味とはいえないらしい。読んだ本や映画を分析してそれなりの何か人が感心するようなことを語れれば趣味といえるのだろうが、のんべんだらりと楽しんでいるだけでは趣味ではないのである。それは暇つぶしというらしい。HOBBY(趣味)とPASS TIME(暇つぶし)はまったく似て非なるものなのだという。
 そんな格調高いものが趣味だとすれば、当然僕は無趣味である。そして目の前には仕事用以外の粘土が見当たらない。

2005.5.10

 時計が好きで集めていた時期がある。そのうち毎日日替わりで腕にしていることが面倒になり、集めることをしなくなった。中には高いものもあるが、ほとんどがデザインのおもしろいもので、本当に高価な腕時計をしている人も多いので、自分はそれが趣味だとはいわずにいた。最近持っている腕時計を全部出してみて、電池ものは電池を替えて動かしてみた。それで気づいたのだが、結局一番愛着があるのは親父の形見の古いセイコーの時計である。竜頭で手巻きのものだ、文字盤が黄ばんでいる。だけれどベルトすら替えられないでいた。さすがに一度切れたのでベルトは交換したのだが。そんなことがあり、先月旅行したときに息子に時計をプレゼントした。気に入ってくれたが、彼もまたいくつも持っているので、いずれそれが一番のお気に入りになることを祈る。

2005.5.27