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2000年 11月

 家庭教師のテレビコマーシャルを見て、自分の学生時代のことを思い出した。アルバイトと呼べるもので、一番長続きしたのは家庭教師だった。最盛期で週3軒を掛け持ちしていたことがある。食事を出してもらうとうれしかった。その流れで親父さんに酒を飲んでいけといわれたこともあるし、風呂に入って泊まっていったことさえある。教え子の成績を上げようなどとは小指の先ほども考えなかったが、カネを貰うということで、社会人的な対応を知らず知らずに覚えたような気がする。ほとんどの教え子ともう交流はないが、今でも仲良くしている子がいて、彼女は30代半ばのリッキー・マーチン命の若女将になり、今でも僕を「先生」と呼ぶ。彼女にとって僕は永遠の大学生教師で、僕にとって彼女は小学6年生のままである。

2000.11.1


 辞書を引くようにインターネットを利用するようになっている。そういうふうに使うと、パソコンというのは強力な助っ人である。どう調べていいのかもわからないことが、検索を重ねるうちに解明される。検索中に横道に逸れていくこともあるが、これほど便利なものはない。電話帳や百科事典のような分厚い書籍はどこか遠くのアーカイブにファイルされているから、必要な情報だけを引っぱり出す。それも瞬時にである。とんでもないものを発明したものである。

2000.11.7


 大人の責任について考える。経験から学んできたこととは、ほとんどが失敗することから学んだことだ。失敗の積み重ねで人は大人になる。その苦汁の味を教えるべきなのだ。子供や未熟者が失敗したときに、その苦汁が致命的な毒ではないことを教える。だって、わたしは何回となく飲まされてきたが大丈夫だということをいうべきである。息子の不祥事に隠れている大女優は、それを怠ってきたんではないか。松坂のふてくされているように受け取れる態度は、周囲の指導者の勇気のなさを思わせはしないか。

2000.11.8


 伝えたい気持ちがあるのはわかるけれど、相手に気味悪がられるようじゃダメだ。シャイにも謙虚にも思われてないんだから。いいたいことを遠回しに伝えようとしたり、目で訴えかけたり、押し黙って見つめたり、どれもこれも気味悪がられては元も子もない。相手にあなたを思う気持ちは100%ないということです。残念ながら。諦めなさい。はい、わかりました。

2000.11.10


 尾崎豊が表現した青春像に共鳴する映画を作る人たちがいて、僕は音楽プロデューサーとして参加しています。かなり完成しつつあります。発表してよくなれば、順次話していきたいと思ってます。楽しみにしておいてください。

2000.11.11


 どんな職業も業ということになれば、自分勝手に好きなようにはやれない。それを生業としていくという意味では、仕事であり趣味ではない。

2000.11.14


 芸術家というべき人は少なく、アーティストと呼んで平たくした人たちは驚くほど多い。気軽に手軽にアーティストと呼ばれる人たちは、一芸に秀でていることは認めたとしても、己の現状から進化することをしない。有名人というのが単に名を知られた人になってしまったことに似ている。

2000.11.15


 加藤鉱一ごっこという遊びが、もうある。相手が喜びそうな話をまずする。たとえば、「よーし、今日のランチはおごるぞ」と部下に声をかける。わーっと喜ばせといて、ギリギリになってやめる。仁王立ちになって、前言を取り消す。たちの悪い遊びだとは思うが、そのくらい今回の政治劇は馬鹿馬鹿しく見えたってことか。世のサラリーマンは、本当に「保身」という2文字の呪縛をことさら考え直した事件でした。

2000.11.22


 木村拓哉さんが結婚宣言をしたといって女性が大騒ぎしている。もちろんその事実についての感想は特にないけれど、入籍する前に子供ができたことを発表するというスタイルが世に与える影響は大きいだろうなあと思う。だってキムタクもそうじゃないか、というのはただの理屈でしかないのに。「世は歌につれ、歌は世につれ」の「歌」は、「情報」に変わる。

2000.11.24


 欲望にはきりがない。自由にも際限がない。もっと、もっと、となる。抑制や規律があって、人は満足する。いくら食べてもいいといわれるより、与えられた量をゆっくりと楽しむ方が幸せなのである。

2000.11.29


 事務所の玄関先にある灌木に花が咲いてミツバチが大集合しているのだが、その花の匂いが都市ガスの匂いに近くて、東京ガスに連絡しそうになった。大家さんに聞いたら、その間違いは前例があるらしい。なんという木か、今度名前を聞いておきます。

2000.11.30