m&m Back Number 2000年 6月 |
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一番つらくてイヤな仕事を部下にやらせる上司は上司とは呼べない。 2000.6.1 銀行に金を預けているのに、預けた方より、預かっている銀行の方が偉そうにしている印象があるのはなぜだろうか。そもそも大家と店子の関係のようなもので、家賃を払っているから借りている店子の方が威張っているようなもので、大家の持ち物を借りているという認識が薄れていくと、その関係性はおかしくなる。銀行に向かって、オレの金を預かってるんじゃないの、といいたくなることがあまりにも多い。 もうすぐ選挙のようだ。わたしたち庶民は民意を反映してもらいたいから、候補者の政策などを吟味するのだが、いったん代議士になると、選ばれた人たちがそっくり返るのはなぜなんだろうか。大家は庶民である。預金者はわたしたちである。 2000.6.5 東京ディズニーランドのダンスマニアを彩っていたダンスステージが今月一杯で消えてしまうというので見に行った。やっぱりミッキーマウスを筆頭にしたキャラクターたちは、どんなスターよりもスターである。薄暮の中で楽しげに踊っている人たちを見ていると、税金が高いなあなんていう類の不満は忘れました。 2000.6.7 最近視力が著しく落ちてきていて、ここ3年ほどの間に何度も眼鏡を作り替えている。きちんと視力検査を受けているにもかかわらず、すぐに合わなくなる。パソコンの使用時間が長いんだろうとも思うが、老眼の域にも達していることだし、40までは2.0だったのにというのも悲しい叫びに聞こえる。合わなくなった眼鏡はまったく無用だから、もったいないことをしたという気にもなってた。ここ1年でも3度作った。それなら100円ショップで、老眼鏡なら何種類もあるから、とりあえずそれを買ってみたらといわれて、一応人に頼んでみる。強弱の度合いを聞かれて迷っていると、どうせ100円なんだから、10種類買っても1.000円だといわれ、今持っている眼鏡の値段を思い出せば、500個は買えることになるからと、買ってきてもらった。当然ぴったりくるものがあるわけで、何だか気が抜ける思いがする。 2000.6.9 近くに弁当屋があります。そこに最近勤めるようになった背の高い女の子がいて、愛想も良くてニコニコしている感じのいい子なんですが、どんな事情があるのかわからないんですが、その子のことをずっと朝から晩まで勤務時間中見ている男の子がいるんです。その弁当屋の前で、邪魔にならないように座っているんですが、いつも見かけるから、きっとずっといるんだろうと思うんです。学生のようですが、詳しくはわからない。女の子と話しているのを見かけたこともあるから、彼なのかもしれないんですが、それにしても、どうしようもない男だと思うわけです。陽性のストーカーとでもいうか、いずれにしても人格欠損者だと思うわけです。恋に生きるのは女性の特権です。男が好きな女を見ているだけで、一日過ごしていて許されるわけがない。まだ若いんだから、しっかり勉強でも仕事でもしろと誰かいってやれ、といった感じなんです。朝10時から夕方6時まで、ずっと彼女を見ていて、一緒に帰るんでしょう。もしかすると、「じゃあね」といわれてしまうのかもしれない。同じ部屋に帰るわけにいかないから、毎朝出かけてくるんでしょうか。せつない恋に見えるけれど、先がない。一体男の子はどうしたいのか。女の子もどうしたいのか。弁当を買いにくる客に愛想を振りまく笑顔に嫉妬したりして、胸を締め付けられているその男は、そのうち犬にでも噛まれてしまうだろうなと心配してます。このアナクロな恋模様は滑稽を通り越して苦しくなる。若さはもっとエネルギーを持つものじゃないかな。彼らには、こんな余計な心配はどうでもいいことなんでしょうが。 2000.6.12 木下愛郎くんというアーティストがいまして、彼には音楽的な才能と論理的思考の才能があり、しかも書く力もあるので、時々メール交換をしたり、彼のホームページを訪ねたりしているんですが、最近気になることを書いていて、それに関して、というかそれに触発されて考えたことを書きます。木下くんありがとう。 いかに生きるかということを考えるのが女性で、どうして生きているのかを考えるのが男性だという気がします。どんなふうに生きていこうかということに頭を悩ませているのが女性で、どうしてオレは生きているんだろうということをバカみたいに考え続けるのが男だということです。毎日をどう楽しく生き甲斐もって生活するかは女性にとって重大なことで、そんなことより存在していることの意味を見つけなければ生きていても仕方がないんじゃないかというところまで行くのが男性なんです。究極的な意味ですよ。 HOWとWHYのちがいです。WAY(方法)とREASON(理由)です。 だから、男は女をなんだかんだと問いつめる。しかし女は答えられない。なんでそんなことを聞くの?という。当たり前です。なぜ生きているかなんてことを考えないように、男がこだわってることを考えもしないわけですから。どうしたいわけ?という女に、そんなことじゃないんだ、もっと本質的なことなんだと男はいう。本質的なことを話し合ってどうなるわけ?世の中の男と女のすれ違いは、すべてこれなんじゃないかって思います。 HOWとWHYのちがいです。こだわっているのがWAYとREASONの違いです。 整理されました、僕は。勝手に。木下くんありがとう。 2000.6.14 村下孝蔵さんの1周忌が近づき、記念に新しいアルバムも用意できたんですが、全国4カ所でコンサートも企画されています。それで僕は残されたビデオを編集して、このコンサートで来ていただいた人たちに見てもらうものを作りました。コンサートの内容は、幻になった七夕コンサートの内容をそのままに当時の仲間のミュージシャンたちが予定されていたメニューを演奏したり、想い出話をしたり、昔の村下さんのコンサート模様のビデオを流したりと、盛りだくさんなんですが、その中で、オフステージの映像を中心にした短いビデオを流します。それを僕が編集しました。初めて公開されるものばかりだと思います。浴衣で歌う村下さんや、故郷水俣駅のプラットホームに立つ姿や、テレビ出演したときの映像やら、結構楽しめます。楽しめますが、やはりせつなく悲しい映像です。作っているときに彼のことをまた思い出せて、うれしかったですが、やっぱり友人を失った痛さは本当につらいものだと実感しました。(コンサートの日程などはinformationでわかります) 2000.6.19 駄菓子を買ってきてくれた友人がいて、これは随分楽しめた。まずは前田のクリケットだ。あたり前田のクラッカーの会社が出していたお菓子で、子供の頃と同じ味がした。それからきなこ棒とか、粉末ソーダーの素、氷砂糖などなど、そして指の間に塗ってこすると煙が出るヤツ。これはお菓子ではないが懐かしかった。なくならないで今でもあるということは、作っている会社があるということなんだろうが、こんな利益率の悪いものを作っている人たちはきっといい人に違いない。大人げもなく、手のひらにソーダーの素をおいて唾を垂らして、ジュワーッとするのを見ていると、胸が熱くなった。10円もって駄菓子屋に走っていった時代は、まだそんなに昔のことじゃない。 2000.6.20 自主制作盤の嵐が来る。あらゆる音楽は自主制作盤になってもおかしくない。植字、印刷、製本という過程の面倒さゆえに、自分で書いたものを本にできなかったとしたら、その過程を簡単にクリアできるようになれば自費出版する人は増える。それと同じ原理である。簡単に録音できるようになった。レコーディングスタジオを使わなくても、つまり大げさな録音設備がなくてもできる。もっといえば、レコード会社と契約しなくともCDは作れるのである。みんな勝手に作ればいい。その道のプロというものがなくなる。どうせずっとアマチュアだと思っていた僕などには、それこそ初心に帰るという絶好の機会であろうか。自主制作盤がそれぞれマニアックなファンを獲得し、その中でもわかりやすいものが世間に少しずつ浸透しヒットする。それでいいんじゃないですか。全体で初心に帰りませんか。何となく最近の自分の発言が、自己批判めいて聞こえます。音楽は好きなんですが、音楽に関わる何かが好きではなくなりました。立ち向かう気力はありません。我が道を行きます。それが一番前向きなんでしょうから。 2000.6.23 土曜日に雨の中、村下さんの1周忌の法事がいとなまれ参加してきました。きれいな霊園に立派な石碑と共にお墓ができていて、お地蔵さんがギターを弾いている姿には驚きました。ファンの方々も全国から参加してくれたようで、感謝します。さあ、喪が明けました。村下さん、仕事しますから。もう口実がなくなりました。 2000.6.26 古いレコードを若い人に勧めるのは、何となく抵抗があるなあと思っていたら、若い人から逆に自分が好きだった音楽を勧められることがあると感激する。知っているものでも知らないふりをして、聴いてみるよと答えたくなる。いいものはいつになってもいい。人から人へと伝わることが素晴らしい。 2000.6.27 知らぬが仏とはよくいったもので、知ってしまえば気になることが多い。知らずにいたかったと思うことのなんと多いことよ。これが情報化時代の一つの病原体です。 2000.6.28 梅雨の合間の晴天は、ことのほかうれしい。窓を開けて空気を入れ換えましょうか。 2000.6.29 ジョン・レノンのベスト盤を買ってきて聞き始めましたが飽きません。スタンドバイミーにつきます。これが僕の目指している歌の一つの具体的な形です。 2000.6.30 |
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